創業明治27年 国産高級肌着のアングル 10,000円(税別)以上のお買い上げで送料無料

伝統と実績に裏打ちされた
高品質なモノづくり

明治27年(1894年)創業したアングル株式会社は、
歴史と伝統を誇る名門企業です。創業以来「アングル肌着」として広く知られ
機能性に優れコストパフォーマンスも高いモノづくりは
定評をいただいております。
「味わい深きと快適さ」を追求し、感性と機能性を両立させた品質は、
企画から生産、販売までを一貫して行う総合力があるからこそです。
ひとりひとりが個性的で、美しく、快適なインナーファッションを
創造するために積極的に取り組んでいきます。

会社概要

会社名 アングル株式会社
創業 明治27年
資本金 1億円
株主 富士紡ホールディングス株式会社 100%保有
売上高 12億円
事業内容 高級肌着の企画、製造、販売
主要販売先 全国主力百貨店、専門店、卸
主要仕入先 富士紡績
本所在地 大阪府柏原市堂島町5番6号
ホームページ http://www.angle.fujibo.co.jp
従業員 84名 (2019年3月末現在)
役員
取締役会長 藤岡 敏文
取締役社長 荻野 好文
取締役 中野 光雄
取締役 吉田 和司
監査役 松尾 弘秋
取締役 岡田 祐明
所在地
大阪本社 大阪府柏原市堂島町5番6号 072-971-1122
営業部 大阪営業G 大阪府柏原市堂島町5番6号 072-920-4752
営業部 東京営業G 東京都中央区日本橋人形町1-17-4 03-5643-9345
営業部 企画生産G 大阪府柏原市堂島町5番6号 072-920-4754
営業部 物流G 大阪府柏原市堂島町5番6号 072-971-2964

沿革

1894 明治27年 大阪市東区安土町二丁目でメリヤス肌着の製造販売開始。
1925 大正14年 商標REGAL登録完了、靴下と一部の肌着類に使用。
1931 昭和6年 法人組織に改組。株式会社山発商店を設立。資本金2百万円。
1946 昭和21年 大阪府柏原市堂島町に柏原工場を新設。
1960 昭和35年 大阪市東区南本町に本社新社屋竣工。
1963 昭和38年 山発工業をアングル工業株式会社に、山発商店をアングル株式会社に社名変更。
2002 平成14年 御幸グループの傘下に入る。
2003 平成15年 「アングル・ミユキ株式会社」に社名変更する。
2004 平成16年 本社・大阪店を大阪市中央区久太郎町2丁目に移転。
2010 平成22年 本社・大阪店を大阪府柏原市堂島町に移転。
2012 平成24年 富士紡グループの傘下に入る。新生「アングル株式会社」としてスタートする。 大阪店を大阪市中央区本町1丁目に移転。
2013 平成25年 東京店を東京都中央区日本橋人形町1丁目に移転。
2015 平成27年 大阪営業Gを大阪府柏原市堂島町5番6号に移転。

アングルの成り立ち

一、「品質第一主義」を掲げて創業

時は明治時代の大阪。 明治二年(1869年)、近代化事業の先駆者であった鹿児島藩が、大阪は河内と和泉の綿作地帯を背景に堺紡績所を設立。これが大阪での近代産業の始まりです。 それから明治二十九年までの間に大阪には二十近い大規模な紡績会社が生まれました。

そんな時代を背景に、大阪の東区(現中央区)安土町二丁目で、アングルの前身である山本発次郎商店が創業したのは明治二十七年五月一日のことでした。 事業内容はニットの生産と販売です。
原糸を購入して工程ごとの専門業者に加工を委託する一方、自社でも裁断から仕上げまでの 工程をこなしました。

創業に当たって山本発次郎は、次のような大きな目標をみずからに課しました。
「上質で均一な原料を求め、新しく高度な技術と徹底した品質管理によって、質の高い製品を作る」と。

二、一貫生産工場の稼働

新しい時代に向けて、脱皮と改革が恐ろしい勢いで進んでいる時代。
明治四十一年(1908年)の六月、アングルは大阪府東成郡鶴橋村大字東小橋五十八番地(現 天王寺区舟橋町)に山発※メリヤス玉造工場を開設しました。
この工場は編立てに始まって、染色、整理、縫製、仕上げに至る一貫生産工場として
日本で初めて本格的メリヤス生産設備を導入し、品質管理を徹底した工場でもありました。

品質第一主義を貫くアングルにとっては、自社工場の開設がどうしても必要だったのです。
さらにアングルは最新鋭の設備を整えただけではなく、優秀な現場の技術者を
全国から招じ入れました。
当時からアングルは品質第一主義を貫くための努力を惜しまなかったのです。

※メリヤスは漢字で莫大小と書き、今はニットという言い方が一般的です。

三、昭和天皇の下着

昭和天皇の肌着をアングルがおつくりし、百貨店を通じてお納めするようになったのは大正十四年(1925年)のこと。
大正十四年五月、まだ皇太子であられた昭和天皇は大阪に行啓されました。
そして、新産業奨励のためアングル玉造工場に牧野伸顕侍従長を派遣されたのでした。
牧野侍従長は大久保利通の二男で、文部大臣、外務大臣、宮内大臣など要職を歴任された人。
大正天皇がご病弱であったため、摂政宮として激務をこなしておられた時代です。

このとき献上した製品が縁となり、それから長くアングルは御用達の栄に浴しました。
当時としては最上の素材ではありましたが、贅沢さなどまったく感じられない普通の製品でした。 ただ、ゴムの時代になっても「紐使い」や「全体的にゆったりした寸法」など、ご自分の好みにはこだわられた様です。
ほかに閑院宮載仁殿下からもご下名がありました。
殿下の場合は乗馬用の肌着の縫い目を外側にするようにというご指定。
いまはベビーなどで当然のこととなりましたが、当時としては珍しいアイデアでした。

四、優れた製品の存在を知らせる「宣伝」は必須の企業活動

創業当初からアングルが「効果的な宣伝活動の実施」を重視したのは、
製品に自信を持っていた証拠です。
「良質の肌着がありますから、ぜひ着てみてください…。」
そんな気持ちを率直に表現することが、そのまま宣伝活動の原点になりました。
販売に当たる営業社員たちも「とにかく、いっぺん着てみとくなはれ」と頑張りました。

東京市日本橋区(現 東京都中央区)横山町に出張所を開設して帝都に進出したのは
大正十五年(1926年)のこと。
ここでも、やはり「着てみて下さい」がセールストークです。
大阪のメーカーは分野問わず「サカモン」と格下視された時代だけに、苦労もありました。
こうした努力の甲斐もあり、東京にも少しずつファンを増やしていきました。

五、「百貨店」との提携

日本の近代百貨店の始まりは、明治三十七年(1904年)に三井呉服店から転進した
株式会社三越呉服店でした。明治時代に開店した百貨店は他に八店。
いずれも江戸時代の呉服店から発展したもので、履物のまま売場に入ることができました。

やがて電鉄会社がターミナルに設ける百貨店が登場します。
その先達となったのは昭和四年(1929年)にオープンした阪急百貨店でした。
種類と量を誇る商品だけでなく、百貨店の売りものは豪華で快適な雰囲気。

品質と先進性にこだわる百貨店のイメージが、アングル自身の信念とオーバーラップする事から取引きを実現するため積極的に働きかけました。
昭和三年(1928年)には三越本店への直接納品の契約が成立。
続いて昭和五年(1930年)には阪急百貨店との直接取引きが始まりました。

こうしてアングルは、東の名門、西の精鋭、両百貨店から
品質を認められることになったのです。
それはまた、消費者の好みを直接つかむことができる貴重な窓口を得ることでもありました。

六、アングルのこれから

アングルが誕生してから今日まで120年余りの歳月が経ちました。

アングルの理念と感性と技術で提案するアングル固有のブランドの数々。
そして、これまでのクリエイティブ・スピリッツを持った海外ブランドとの出会いや
一流キャラクターとタイアップしたブランドの数々。

長い歳月の中で蓄積した技術やノウハウ、かけがえのない出会いを通して、
多くの製品が生まれました。
これらはアングルの血となり、肉となり、今のアングルの強みとなっています。

創業者の想いである「品質第一主義」はもちろんのこと、
衣料に求められる基本条件である「味わい深さ」と「快適性」の追求。
この三つの価値は、いつの時代においても顧客の満足を得るために考えられなければならないテーマであり、そのまま時代に継承されるべきアングルのアイデンティティ(企業理念)、企業の資産そのものです。

アングルは、この「品質第一主義」「味わい深さ」「快適性」を時代ごとの顧客の視点に立ち、常に最先端の技術を導入し、素材にこだわり、機能性を重視し、提供し続ける事に精進致します。