2023年に70周年を迎えるアサメリー。時代を超えて、たくさんの方々に愛されてきました。アサメリーは、私たちのこだわりや工夫が随所に現れたアイテム。今回はそんなアサメリーが生まれる前のお話です。
普通選挙法案が貴族院と衆議院の両本会議を通過した、大正14年。25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられたのと時を同じくして、私たちは百貨店を通じて昭和天皇の肌着をお納めするようになりました。
きっかけは、当時まだ皇太子だった昭和天皇が大阪にお出ましになったこと。天皇は新しい産業であったメリヤス製造を奨励するため、当時のアングル玉造工場に牧野伸顕侍従長を派遣されました。このときに献上した製品が縁となり、アングルはそれから長く御用達の栄に浴したのです。
お納めしていたのは当時としては最上の素材を使った肌着の上下。とはいえ贅沢さはまったくない、いわゆる普通の肌着でした。しかし、一般的にゴムが使われるようになっても「紐使い」を選ばれたり、「全体的にゆったりした寸法」を好まれたりと、細部までこだわりをお持ちだったようです。
また、閑院宮載仁殿下からは乗馬用の肌着をご下命いただきました。ご指定は、肌着の縫い目を外側にすること。肌当たりが格段によくなるこのアイデア、今となってはベビー用の肌着などで当たり前に行われていますが、当時としてはとても珍しいものでした。
皇室に製品を献上するのはとても名誉なこと。残っている写真からもわかるように、献上品の製造にはとても多くの人員をかけ力を注いでいました。先ほどご紹介した通り、昭和天皇の肌着のお好みに合わせたり、閑院宮載仁殿下からのリクエストにお応えし新しいアイデアを盛り込んだり…。社を挙げて取り組んだことが、その後の柔軟な製品開発に影響を与えたのかもしれません。