
探究するものづくり
ANGLE CRAFT EXPLORER FILE.
伝承される職人技術と新しい挑戦
FILE.1 小川陽生(GNUOYP)
探究するものづくり
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FILE.1 小川陽生(GNUOYP)
ANGLE CRAFT EXPLORER FILE. 1
FILE.1 小川陽生(GNUOYP)
東京・墨田区向島。隅田川に程近いこの下町で、ひとりの職人が静かに革と向き合っている。GNUOYP(ニュピ)の小川陽生さん。彼が手がける「天溝」と呼ばれるがまぐち財布は、まるで現代のライフスタイルを見透かしたかのような、洗練されたフォルムを持っている。小川さんの手には、単なる革製品への愛着以上のものが宿っている。それは、日本で初めてハンドバッグを作った職人・重田なをを曾祖母に持つ、3代続く革職人の家系としての誇りと責任感だ。
明治の世、重田なをは東北から上京し、男性中心の職人社会で革バッグ製作の技術を習得、日本初のハンドバッグ職人となった。関東大震災ですべてを失った際も、培った技能だけを頼りに家族を支え復興を果たす。その波乱に満ちた人生は、NHKがドラマ化を検討したほどだった(最終的には『おしん』が選ばれたが)。
革が日本に本格的に根付いたのは飛鳥時代以前、大陸から渡来した「熟皮高麗」「狛部」と呼ばれる工人たちによって伝えられた技術に始まる。1000年以上の歴史を持つ日本の革文化の中で、重田なをは新たな境地を開いた革新者だった。
「天溝」とは、一般的ながまぐちとは一線を画す、極めて洗練されたデザインを持つ財布である。従来のがまぐちに見られる突起状の「げんこ」を排除し、スッキリとした丸みのあるフォルムを実現。かつて東京の芸者が花名刺入れとして愛用していたという、この美しい口金の形状を現代に蘇らせたものだ。
興味深いことにがまぐちは、明治時代にフランスから伝来した舶来品である。明治4年(1871年)、政府の御用商人だった山城屋和助がヨーロッパ視察の際にフランスで大流行していたがまぐちの財布とカバンを持ち帰り、それを日本で模倣して売り出したのが始まりとされている。
小川さんの工房で使われている口金は、今では珍しい真鍮製。一つ一つが手作業で仕上げられ、革と同様に経年変化を楽しむことができる。しかし、天溝と呼ばれる口金に昔ながらの製法で革を巻き込める職人は、小川さんの知る限り関東では80歳の職人2人のみ。時代の流れとともに需要が減り、職人の数も激減している。
「がまぐち一筋50年」という熟練職人との出会いが、小川さんの天溝作りを可能にした。当初、その職人は後継者不在で「自分で終わり」と語っていたが、小川さんとの協働をきっかけに後継候補が現れたという。絶滅危惧とも言える技術を知ったとき、小川さんは「終わらせたくない」という強い使命感を抱いた。
小川さんが使用する革は、単なる鹿革ではない。害獣として駆除された野生鹿の皮を、長野県飯田市で丁寧になめし処理を施した特別な素材だ。「ただ害獣として命を終わらせるのではなく、人のために役立つ生命として活かしたい」—この思いが、皮を革に変える。
野生で育った鹿の皮には、すり傷や弾痕といった個性が刻まれている。小川さんはそれらを欠点として隠すのではなく、むしろ一点一点の個性として活かす。完成品をイメージしながら自らパーツを裁断するため、同じデザインの財布でも全く違う表情を見せる。街で誰かが同じ財布を持っていても、それは間違いなく「あなただけのもの」だ。
古来より鹿革は日本人に馴染み深く、弥生時代には既に道具として用いられていた。その柔らかさと美しい経年変化は、使い手の生活に寄り添いながら独自の風合いを育んでいく。
厚さわずか1センチという極薄設計でありながら、小銭入れ、カードポケット(10枚収納可能)、お札入れを備えた天溝は、まさにキャッシュレス時代にフィットした財布である。ワンタッチで大きく口が開き、中身の視認性も抜群。そして何より、がまぐち特有の「パチン」という開閉音が、デジタル化された日常に小さな癒しをもたらしてくれる。
小川さんは語る。「キャッシュレス化が進み、あまり物を携帯しなくなった現代のライフスタイルにこそ、天溝のデザインがフィットすると思うんです」。
アングルが大切にする「こだわりのものづくり」という理念は、小川さんの姿勢と深く共鳴する。一つ一つの製品に込められた職人の想い、使い手への愛情、そして次世代への責任—これらは単なるビジネスを超えた、日本のものづくり文化の真髄である。
向島の小さな工房で、今日も小川さんは革と向き合っている。曾祖母から受け継いだ血と、職人たちから託された技術を胸に、現代に息づく新しい伝統を創造し続けている。天溝という革新的な財布は、過去と未来を繋ぐ、美しい架け橋なのかもしれない。
1974年、日本初のハンドバッグ職人・重田なをを曾祖母に持つ3代続く革職人の家系に蔵前で生まれる。大学中退後イタリア・ミラノで修行、2010年レザーブランド「GNUOYP」を設立。向島の工房で絶滅危惧の天溝がまぐち技術を継承しながら、野生鹿革やマッシュルームレザーなど新素材も活用する革新的な職人。
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